「表現の強度」に挑んでいる小説
11編の作品が収められた短編集。
その中で、どうしても読めない作品があった。
『女の部屋』
つまらない、というわけではない。
ただ、物理的にどう読んでいいのか分からないのだ。
そんな折、
国立新美術館で平野氏の講演が催されることを知った。
ちょうどいい、本人に直接聞いてみよう。
私は、講演を聞きたいという思い以上に、作品の読み方を質問する
という緊張感をもって会場の最前列に席を陣取った。
講演は、
「異邦人たちのパリ」という企画展の中で「ルーブルもオルセーも卒業!?
ダ・ヴィンチよりモネより、もっと私たちに近い画家たち」と題して行われたのだが、
メインテーマについての話はここでは控えておくとして、
講演中、平野氏の言葉で特に印象に残ったものがあった。
「表現の強度」
氏は「“紙”という限られた範囲の中で、どういう表現方法が可能か」
を常に考え挑戦しているのだという。
私は、この挑戦の過程で生まれたのが今回の「あなたが、いなかった、あなた」
だと理解した。限られているからこそ研ぎ澄まされる表現。
限られているからこそ「表現の強度」が必要とされるのだろう。
私は『女の部屋』の読み方を質問するのは止めにした。
「この作品を、あなたならどうやって読みますか?」
平野氏が自分自身の「表現の強度」に挑み、私たち読者にも投げかけた(のだと思う)
この挑戦に、もう一度応えてみたいと思ったからだ。
私は『女の部屋』のページをまためくろうとしている。
※「物理的に読めない」ということについて
本屋に行ったらこの本をちょっと手にとって開いてみてください。
この言葉の意味が分かると思います。