薔薇と桜の美しさの違いが分かる本
体調を崩し、病院にいた妻からのメール。
「花見で桜を見て、さらに体調を崩し、精神的にも
不安定になりました。だから、自分がもともと好きだった
薔薇の花を近所の花屋で買って病室に飾ったら、
ようやく気持ちが落ち着きました」
メールを受け取った夫は、爆笑問題の大田光である。
彼は、この妻の体験を、こう分析する。
「桜は狂気も、毒も、その美しさの中に含んでいて、
その表現は隠している。しかし、我々の潜在意識は
その狂気と毒を感じ取ってしまうのではないか。
だからこそ妻は桜を見てバランスを失ったのではないか」
それに対して、薔薇は、というと、
「薔薇がその棘によって、自分の中の毒をきちんと表現している
(中略)薔薇は正直に自分の毒を提示している。美しいだけではなく、
人を傷つける危険性があることを示している。
だからこそ妻は、薔薇を信頼し、桜によって失ったバランスを
取り戻すことが出来たのではないだろうか」
この考えに、私も素直に共感した。
美しすぎるもの(または、醜すぎるもの)
いい人過ぎるひと(または、悪人過ぎるひと)
など、つまり、ある一方に偏りすぎているものに
出会った時感じる、あの、違和感の正体が
分かった気がしたからだ。
必ず、その裏に隠された「何か」を、本当はないかも
しれない、その「何か」を探ろうとしてしまう。
その点、薔薇のように、その二面性を正直にさらけ出して
いるものは、安心できる。信頼できる。
「桜の冒険」
と題された、大田光の文章は、本論とは直接関係ないところで、
私の心を深くえぐってくれた。
しかし、新書を手に取ったのは一体何年ぶりだっただろう?